(聞き手・文責:代島治彦)
チベットとフクシマのことが、
微妙にかぶりましたね。
代島:オロの音楽はどんな風に生まれたんですか?
大友:チベットには行ったことはないですし、オロの記憶のなかにある音楽というのも全然想像がつかないので、そこから逆算していってもきっと嘘をつくことになっちゃうから、やっぱり自分自身のこととして曲をつくったんだと思う。とはいえ、完全なぼく個人の発想でもなく、自分自身のフィルターを通してあの映像がどうみえたかっていうことかなあ、っていう感じではあったんですけど。その先は正直、どこの国の音楽でもないようなものをつくろうと思って。あんまり個人のアイデンティティに帰属するようなものではなく、空を飛んでいる鷲や山の景色をみながらふわっと浮かんできたものを自分で信じよう、みたいな感じでした。
代島:主人公の少年、オロの印象はどうでしたか?
大友:ぼくはどうしてもオロにいろいろ投影しちゃうところがあって。いちばん感動したのは、最後にオロが監督に感謝の言葉を言うところ。あの時点でオロはただのオロではなくて、チベットを代表している感じがあって、そのこととぼく自身のフクシマに関することが微妙にかぶってくるんですよね。オロがわずかあの年齢ですごく悲しい経験をして、それでも自分自身のアイデンティティを必死につくっていこうとする姿をみていると、それは感動的というよりも、何て言ったらいいのかな、自分のなかの心がキューンとする感じなんですよね。「きびしいけど生きていけよ」って感じですかね。
代島:オロに向かって…。
大友:はい。
オロがぼく自身だと思えたとき、
音楽が生まれました。
代島:東日本大震災(2011年3月11日)後のフクシマに対する思いにつながっていくというのは…。
大友:かなりかぶりますよね。実際起っていることは違いますけども、ある事態が起ることによって家族が離れていったり、そこに住めなくなっていったり、自分自身がチベットに人間であるとか、フクシマの人間であるっていうことを考えざるを得ない。ほんとうはね、考えないで生きていけた方が幸せだとぼくは思うんですけど、考えざるを得ない状況のなかで人はどうしていくんだって意味ではすごく普遍的な問いだと思うんですよね。
代島:生まれてくる時代とか土地を選べない子どもは、その状況のなかで成長せざるを得ない。そして、その生まれ落ちた宿命を引き受ける決意を固める年齢があると思うんですよ。オロもそういう年齢を迎えて、こういう映画づくりと出会って、その体験のなかで決意を固めていく。映画の最初に出てくるオロと最後に出てくるオロは、受ける印象が全然違います。たった一年くらいの時間なんですけど、やっぱり成長している。それが、この映画の大事な部分だと思うんです。
大友:あそこに出てくるオロっていうのはもちろん実際のオロなんですけども、そうではなくてぼく自身であり、あなた自身であるっていう感じだと思いましたね。だからこそ、音楽がつくれたんだと思うんですけども。最初はチベットの問題を描くドキュメンタリ−かなと思ったんです。もちろんそうではあるんですけど、やっぱりそういうことを超えちゃって、すごく普遍的な、人が生きていくっていう話だなって。そこまで大きく言っちゃうと何でもそうだと思うんですけど、すごくすごく本質的な意味で「ひとが生きていくって何なんだ?」っていう基本的な問いかけをしてくる映画になっていると思いますね。
小さなカラダに抱える大きな悲しみ。
代島:ジ−ンとしたとか、おもしろかったとか、何でもいいんですけど、大友さんが好きなシーンはありますか?
大友:いくつかありますけど、いちばん言葉が出ないくらいきついなって思ったのは、オロがチベットを出てからインドにたどりつくまでの間に何があったのかっていうことをいままでずっと言えずにいたんだっていうことが途中でだんだんわかってきて、どこまで本当のことを言っているかわかんないけど、それを言い出すシーンがありますよね。あそこはきついね。きついっていうか、でもこういうことだよなと。あそこのシーンがとにかく印象に残る。もうひとつ、焚火を囲んでみんなで歌を唄うシーンの後にオロが笑顔で笑っているんだけど、ふーと表情が変わる、笑顔から遠くをみつめるような、ちょっと影のある顔になるシーンとかが突き刺ささりますね。でも、オロだけじゃなくて、誰だってそういう問題があって、そういうことを抱えて生きなきゃいけないことではあると思うんですけど。あとはオロがカンフーの真似をしているところ。あれはすばらしいですよ。男の子なら誰でもやったことがあるから、世界共通のなつかしさというか。あんな些細なところがすごくひとの心にふっと入っていける何かを持っているのかなっていう感じがしましたね。個人的につくるのがとても楽しかったのはアニメ―ションのシーンで、あそこもオロが話していることがほんとうかどうかっていうことではなく、ああいう物語がオロの口から出てきて、その物語が日本のアーティストたちの手によってアニメーションになり、あの映画のなかに入ってくるっていうことはとても素敵なことだなって思いました。
代島:あのアニメーションはぼくたちからオロへのプレゼントみたいな感じもしますね。人生には楽しいこともいっぱいあるよってオロに言ってあげているような。
ドキュメンタリーなんだけど、
それがフィクションにもなっている。
代島:ドキュメンタリ−に音楽をつけるのは初めてですよね。
大友:そもそもぼくはドキュメンタリ−に音楽をつけていいのかどうかって、いつも大きな疑問を持ちながらドキュメンタリ−をみてきた方なんです。音楽があることで動くものがあるのも百も承知で、これは映画の演出や編集についても言えると思うんですけど、気をつけないとものすごく暴力的なものになる、嘘をつくことになりかねないじゃないですか。ましてやぼくは撮影現場に行っているわけでもなし、オロに会っているわけでもないので、嘘ついちゃいけないっていうのがすごくありました。あとはみているひとたちが「オロってこうなんだ」っていう見方を音楽が狭めちゃいけないと思っていて、むしろ音楽がついていない状態のときよりもそれが広がるようになればいいのかなと。
代島:ぼくはこの映画は音楽が必要だと思ったんですね。映画を作っている過程そのものがひとつのドキュメンタリ−になっているので、そういう意味では作り手の意志を反映した音楽があっていい、と。作り手の意志が画面に現れていい映画だと思うんですよ、これは。
大友:途中から監督自身が出てきますからね、オロの対話者として。それはすごくおもしろいし、いいなと思ったんですよ。監督やカメラは透明な存在でなければいけないっていうドキュメンタリ−の法則があるかもしれないけれど、この映画の場合は監督が介入することで明らかにオロの人生を変えているわけですから、その責任をちゃんと引き受ける作り方をしていると思うんですよね。だからオロの現実生活に入り込んでいったドキュメンタリ−なんだけど、それがフィクションにもなっているっていう、それから別の映画のシーンが引用されたり、構造が何重にもなっているけど、全体として嘘がないというか。
代島:作り手がいるんだぞと宣言しているので、音楽が入り、アニメが入ってもOKで。なんでもありなんだというこの映画の自由な気持ちを、大友さんの音楽がより広げてくれているような気がします。
大友:そうなっていたら嬉しいですけどね。だから、作り手が透明なみえない存在じゃなくて、はっきり作り手がいるんだっていうなかでドキュメンタリ−を作っていくっていうことはどういうことかっていうことに対してほんとうに誠実に向かっている映画だと思います。
大友良英 Otomo Yoshihide
1959年横浜市生まれ。10代を福島県で過ごす。音楽家。ギタリスト/ターンテーブル奏者/作曲家として、日本はもとより世界各地でコンサート、レコーディング、プロデュース活動を行う。映画音楽家としても 田壮壮監督『青い凧』等の中国映画、相米慎二、安藤尋、足立正生、田口トモロヲといった日本を代表する映画監督の作品、横浜聡子などの若手監督の作品など、数多くの映像作品の音楽を手がけ、その数は60作品を超える。2012年3月11日の大震災、その後の原発事故を受けて,福島の人々や多彩なアーティストと連携して「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げ、福島から新たな文化を創造するためのさまざまな芸術活動を展開中。