僕は岩佐寿弥監督の作品と向き合うたびに恥ずかしい気持ちになる。だから新作『オロ』を見るには覚悟を強いられた。ドキュメンタリーを突きつけられる、そんな予感があった。だが、作品は驚くほどに優しかった。キャメラと遊び、カンフーに興じ、歌い、笑う少年の姿をひたすら捉える。今の日本に生きる僕たちはそこから多くのことを読み取り、考えることもできるが、映像に映る子どもはただただ眩しい。岩佐監督にとって久しぶりの劇場公開作品となる『オロ』は限りなくあたたかかった。それが嬉しい。
私たちの本当の故郷には国名も住所もなく、初めて独りで歩いた時に覚えた母への恋しさが、愛しさが、いわば唯一の故郷なのだと思った。オロの微笑みには、彼の故郷が見え隠れしていて、きっと誰もが抱きしめたくなるけれど、実は自分の6歳を抱きしめたいんだと思う。
すべての出演者の笑顔の奥にある悲しみに光をあてたいと思う。
オロはまさにチベタンの幸福な王子。六歳のときにヒマラヤを越えてきた全力少年に僕たちは話すこと、聞くこと、触ること、頬を寄せること、額をつきあわせること、涙を流すこと、歩くこと、そして歌うこと。
五感全部を開いて、次に第六の想像力を駆使して、生きることを教わった気がします。
本当に旅に出たくなりました。いつかオロに会いたいと願います。それまで自分は一生懸命に生きていきます。
文句なしに感動しました。すべてのシーン、カットにたくまずしての必然を感じました。それほど生理的に納得のいく時間を体験しました。オロ少年の後半の饒舌が素敵ですね。モモチェンガばあちゃんとの水の流れのような対話にも胸を打たれました。収穫です。
オロの瞳がいまも忘れられない。瞬間を慈しむように生きる輝きと、少年とは思えない眼差しの奥深さ。それは悲しみの裏返しでもあるのだろう。このうえなく美しい望郷の物語。
美しくて、楽しくて、愛おしい映画。
おどけたり、ふざけたりする子どもたちからあふれてくるうれしい表情。
そこにあるのは、心の底から深呼吸したいようなしあわせの風景なのだ。
この映画が訴えかけてくるのは、ただ単に中国によるチベット支配の政治的な問題ではなく、中国も含め、私たちの所属する国家が何故このような人々のあり方を排斥してしまうのか。ひたむきに幸運を祈る宗教性や、家族や民族の誇り、生活の中の歌や踊りや物語る楽しさといったもの、それらとどうして相容れないのかということだ。
こんなにも明るくて、こんなにも悲しい、そしてこんなにも自然な人たち。
たくさんの人に、特に子どもたちに見てほしい映画です。
オロ。濁りなくまっすぐに、体の底の方から湧き出てくる表情を持った少年に出会いました。
それは、普段のわたしたちがただ顔の上にのせている、貼り付けているものとはぜんぜん別の表情でした。ぜんぜん別の生き方でした。 まっすぐに深く私の中におりてきて、忘れかけた芯を揺さぶるような力を持った、無言の言葉でした。
オロを見ているとひとりの少年なのになにかの塊を見ているような気持ちになる。なにか、かなしみとかよろこびとか、すべての人間のもつ普遍的で根源的なもの、宿命。
チベットの抱える問題はどこか遠い国の話ではなく同じ地球に生きるわたしたちの問題だ、ということをこの映画は押し付けがましくなく思い出させてくれる。途中であまりに自然に監督が登場したせいだろうか。作り手と見る側の距離がすっとつながったような気がした。劇中の下田さんの描く絵がたくさんの色と線を積み重ねてひとつの像を成すように、わたしたちもまた丁寧にひとつずつ線を描くように世界を見つめ直さなければ、と思った。
久々に出会えたチベットの人々の純な瞳と素朴な営みに、
深い郷愁を覚えました。
オロ少年の自然な行為は恐ろしい程に優しい。
人間のあるべき姿を深く突きつけられた思いだ。
岩佐監督の無碍なるメソッドに感服。
77歳、岩佐寿弥監督の新作に触れられることがまず幸せだ。
一見しただけでも芯は強そうだが、思いの丈を語らせてみると
驚くべきモノローグ能力の高さを示すオロくん。
こんな少年に出会えてほんとうによかったと思う。
岩佐監督らしいと思うのは、「映画を撮る」「映画に撮られる」という行為自体が、
作品の有機的な一部をなし、映画を活性化させていること。
亡命中の少年にとって「映画」とは何であり得るのか、
その問い自体がすがすがしく見える。
見終わるともう一度はじめから見たくなる、
そんな魅力があるのびやかな美しい映画です。
オロの涙、オロの笑顔、オロの言葉が、
どんな大問題も個人にとっては日常として現れる、だからこそ
そこには苦しみと同時に喜びも希望もあるのだと教えてくれます。
エンドロールを見ながら、映画がいつまでも続いてくれればと祈った。
それほど、愛おしく、美しい人たちがそこにいた。
そんな彼らの家族と心が、なぜ引き裂かれなければならないのか、
これも今、起こっている現実、、、辛く、痛い。
でも映画を見て、そんな彼らが今も人を愛し、人間らしく美しい瞳でいられることに励まされた。
脳裏に焼き付くシーンが多いが、特に終盤の手を重ねるシーンを僕は一生忘れない。
岩佐監督のカメラを通したチベット人への温かい眼差しと、実直な思いに深く心打たれ、号泣した。
岩佐監督、撮って頂いて本当にありがとうございます、心から感謝します。
オロ君、モゥモ•チェンガさん、チベットのみなさん、いつまでもお元気で。
抑圧され、苦しみ、多くが亡命を余儀なくされている人々...
チベットについて私たちはそんな角度のアプローチをしがちだ。
それは事実だが、これからもずっと事実なのではない。
オロに会えば、それが分かる。
子どもは──いつの、どこの子どもも──たとえ逆境にあっても、未来を見つめている。
未来を見つめながら「今」を生きる。ごく当たり前に。
そんな子どもの眼差しを、大人は信じなければいけない。これも、ごく当たり前に...。