「オロ」は、チベットからインドに亡命したある少年についての日本人監督によるドキュメンタリー映画である。
このように解説すると、本作は「恵まれない子供たちへの支援」や「中国政府によるチベット政策への抗議」が目的の映画であるかのように思われる。そういう社会的効果が結果として生まれることは確かにあるだろう。だがこの映画の発端には、何かもっと別の想いがあるように感じられる。
映画の後半、オロ少年が岩佐寿弥監督と会話するシーンがある。「なぜ監督は映画を作るんですか、おじいさんなのに疲れませんか」と、少年はまことにストレートな質問を投げかける。対する監督の答えはこうだった。
「しんどいけど、僕はチベットがものすごく好きだから、(中略)作ってんの」
楽しそうに話す監督の想いは明快である。大抵は何万語費やしても容易に伝わらない映画製作の意味について、少年は監督のじつに短い返答に即座に反応し、いい笑顔を見せてくれる。このシーンから、私は本作が「寄り添うドキュメンタリー」とでも言うべき映画であると理解した。
ドキュメンタリー映画で通常求められるのは、現場への介入を極力回避し、あくまでも目撃者の視点にとどまろうとするスタンスである。ところが本作において、なんと岩佐監督はオロ少年といっしょに旅に出る。非介入の目撃者という視点は捨てられ、監督は親元から離れひとりで亡命生活をする少年に寄り添い、「ものすごく好きな」チベットの風景や歌や人にも寄り添い、撮影を進めて行く。
色とりどりの宗教的な布がロープに張り巡らされ、その向こうにダラムサラの街が見える。布が風に揺れているだけの数秒程のシーンが、この上もなく美しい。
チベットの不幸を政治によって決着させるだけでは確実に何かが欠けている。好きだから寄り添う。好きだから美となる。欠けているのはこのごくあたりまえの想いであり、本作は欠けているこの想いを見事に埋めてくれる。これは慈善ではなく慈悲の映画である。
日本経済新聞 2012年7月5日(木)クロスボーダーレビュー
ドキュメンタリーの範疇におさまらない不思議な映画である。チベットからインド北部のダラムサラへ亡命した少年オロの人生の旅を追う物語だが、監督自身が時折画面に映り込み、先導的な役割を果たす。オロの後を監督が歩き、そして監督の後を観客が歩く、そんなロードムービーでもあった。
チベット難民をめぐる状況は、熾烈である。日本で安穏と暮らしていると、そうした現実に触れる機会は少ない。ラサのジョカン寺の前で、中国政府への抗議を表明して焼身自殺した僧侶のニュースは記憶に新しいが、彼をそこまでさせた背景を、そして彼自身の過去を、ニュースは語ってくれない。身を賭した意思表示は、わずか数行の記述をもって外国のニュースサイトを駆け巡り、次の日になればその数行さえもが画面から消えてしまう。
しかし、今ぼくはあの僧侶のことを思い出している。どうして彼がそこまで追いつめられたのか、少なくとも気持ちの端緒だけは理解できる。なぜなら、オロを通して、胸を抉るようなチベット問題の現実に触れたからである。
本作では、監督の登場が功を奏している。オロが監督に向かって言う。
「おじいさんなのに、疲れないんですか?」。監督を気遣うオロの言葉によって、スクリーンの先にいるオロが、日本にいる自分たちの日常からさほど遠くないところにいることを知る。
オロは、自分が置かれている状況を痛いほどよく理解していた。初めて出会ったおばあさんやお姉さんたちに、オロがぽつぽつ身の上話をするシーンがいい。これだけ壮絶な人生をおくっても、彼は人を信じている。これだけ強大な力に翻弄されても、諦念に絡めとられることなく、前を向いている。
オロは、今この瞬間もぼくたちと同じ世界に生きている。それを実感するだけでも、この映画を観る価値は、ある。
クロワッサン(マガジンハウス)2012年7月25日号 「最近、感動する映画を見ましたか」
オロはこのドキュメンタリーの主人公のチベット人の男の子である。6歳のときに母親に言われてヒマラヤを越えてインドに亡命した。いまはヒマラヤのふもとの町のチベット人難民の学校で学び、その寄宿舎で似た境遇の子どもたちと一緒に暮らしている。
この映画の監督の岩佐寿弥はこれまでもチベットの人々にかかわる映画はいくつも作っていて、オロとも親しい仲であるらしい。だからこの映画は「さあ一緒に映画を作ろう」「でも本当に出来るのかな」などと二人でのんびりおしゃべりしている様子から始まる。それだけで、この子がとても素直で賢くてしっかりした性根の持ち主であることが分かる。そういう子の生活を温かく見守りながら、チベットやさらに世界の難民のことなどについて思いを新たにさせられる映画である。
6歳でヒマラヤを越えて亡命したというと、つい冒険物語を期待してしまう。しかし監督はそれを性急に語ろうとしない。ただインドの各地にいる親戚縁者などに彼を会わせ、同じ年頃の子たちとの会話を撮っていると、おのずからその苛烈な旅の断片が出てくる。そこには想像を絶するものがあり、この子が、この体験から何を学んで大人になっていくのか、及ばずながら見守りたい気持ちになる。
ドキュメンタリーは普通、複雑な状況や人物の立場などはナレーションで説明してくれるものだが、最近の野心的な作品はそれを避ける傾向が強く、これもそうである。言葉だけでわかったつもりになることを嫌い、人の表情その他、映像が表現するものをじっくり見て想像力を働かせてほしいからであろう。それだけの豊かな表情を持つ作品である。
朝日新聞 2012年6月22日夕刊「エンドロール」
今月の映画はオロというチベットの少年の物語だ。どうやらこの名前は現地でも珍しいらしく、名前を聞かれた彼は、母親が赤ちゃんを抱っこする仕草をしながらこう説明する。「チベットでは赤ん坊が泣くと、オーロ、オロ、オロってあやすんだよ」と。
オロは小学四年生。まだまだ母親に甘えたい年頃だが、母親はもちろん家族は誰もそばにいない。オロが住んでいるのはチベット亡命政府があるインド北部の町ダラムサラ。六歳の時、家族と離れ、ヒマラヤを越えてきたオロは、チベット子ども村の寄宿学校で学んでいるのだ。学校にはオロのような難民の子どもたちが大勢いて、助け合いながら暮らしている。この映画は学校の日常や、夏休み、冬休みのエピソードをつないで、オロが生きていく姿を捉えたドキュメンタリーだ。監督は七十七歳の岩佐寿弥。「チベットが好きだから映画を作った」と語る、穏やかな目の持ち主だ。
チベットの指導者ダライ・ラマ十四世が中国軍に追われてインドへ亡命したのは1959年。以来、チベットは中国の支配下に置かれ、中国人移住者がもの凄い勢いで増えている。この50年間、自治権を求めるチベット人の要求を中国政府は無視。チベット人は厳しい弾圧と差別に苦しめられてきた。2008年の北京オリンピックの頃、自由を求めるチベット人の抗議デモが武力弾圧された事件は日本でも報道された。こんな状況だからインドやネパールへ亡命するチベット人が後を絶たない。中国警備兵に見つかると刑務所行き。見つかって射殺された人も、途中で病死した人もいる。たった六歳でオロもそんな過酷な体験をしたはずなのに、元気に遊びまわっている顔からは、その記憶の影は感じられない。
亡命してきたチベット人はみんな似たような体験をしている。難民生活も楽ではない。オロの同級生ダドゥンのお母さんは毎日夜明け前にパンを作り、道端で売っている。チベットに帰って映画を撮った夫が逮捕され、刑務所にいるからだ。そんな苦労続きの生活だが、この映画に登場する人たちはみんなとても穏やかな表情をしている。そしてみんな仲が良い。特に心をうたれたのが、亡命に失敗して捕まった話をしてくれた少年だ。決して泣いているわけではないのに、話している彼の目から静かに静かに涙が流れてくる。仏が涙を流すとしたらこんな感じなのではないか。そんな気がした。
そして映画の後半でオロも自分のトラウマと向き合うことになる。冬休みに岩佐監督と一緒にネパールの難民キャンプを訪れたオロ。そこには岩佐監督が以前映画に撮ったモゥモ・チェンガおばあちゃんと、難民三世の陽気な三姉妹がいてオロを弟のように可愛がってくれた。その親密な空気が、オロの重い口を開かせたのだ。話し終わって心がスッキリしたのか、母親の思い出話をするオロの陽気な口調が印象的だ。
映画の最初と最後、特にネパールへの旅の後ではオロの雰囲気が全然違う。この旅を体験して、自分が難民であるという自覚が生まれたのではないだろうか。その自覚の先にこそ、彼が生きていく希望が生まれるのだと思った。
母の友(福音館書店)2012年8月号
監督に言われるままに、少年が狭い階段を駆け上がってくる。お世辞にも上手な演技ではない。自分の境遇を語るときにも、少年にはあどけなさが残り、しばしばつかえてやり直す。かつて『叛軍No.4』(1972年)や『ねじ式映画 私は女優?』(1969年)で、演ずる主体自体の虚構性を映像化してみせたこの監督にとって、カメラの前での少年の「演技」は、「監督」が少年と仲良くなっていくための手段なのかもしれない。
映画を撮るという理由で、監督たちはチベット難民の生活に入っていった。1959年の「あの日」から半世紀以上を経ても難民数は増え続けており、その大半はインドとネパールで暮らしている。彼らはささやかな行商で生活を支え、宗教的伝統を守り、ダライ・ラマ十四世を信奉し、いつか故郷に帰る希望を捨てていない。その彼らにとって、中国は巨大な抑圧者以外の何者でもない。
少年の友達の姉妹の母は、北京オリンピックの年に故国の声を世界に伝える映画を撮ろうとして中国政府に捕まり、いまだに収監されている夫の帰還を待ち続けている。毎日早朝からパンを作って街頭で売り一家の生活を支えるその姿が美しい。
やがて監督と少年は、インド北部のダラムサラから、前作「モゥモ チェンガ」(2002年)の舞台だったネパールのポカラまでの長い旅に出る。前作では、「満月ばあちゃん」のモゥモ・チェンガが、ポカラからダラムサラまでの旅に出て、最後にダライ・ラマ十四世に面会する。今回は、ちょうどその逆、監督と少年は、ダラムサラからポカラへの旅に出る。
考えてみると、モゥモ・チェンガも少年オロも、この旅の前にもっとずっと辛い旅をしている。チベットからの亡命の旅である。当然、この二度目の旅は、最初の旅の記憶に重ね合わされる。いつだって、空間の移動は記憶の再生を伴うのだ。
少年はポカラの人々に会い、そこに息づき続けるチベットの伝統文化や生活感覚に馴染みながら、老婆モゥモ・チェンガを前にかつてチベットの地にいた頃のかすかな思い出までも生き生きと語り始める。
今日では世界中が、経済発展著しい中国のアキレス腱が、チベットをはじめとする少数民族問題にあることを知っている。人民による共産主義は、結局、新たな帝国主義と市場経済を生んだにすぎなかったのか。
そして少年が、ポカラで自らの記憶を手繰り寄せ、母への想いを語るのを聞くなかで、観客はハタと気づくことになる。この聡明な少年は、両親に捨てられたのではない。チベット人にとって、希望の中心はダライ・ラマの亡命政府のあるダラムサラにある。だから少年は、聡明であるが故に、チベットの未来への希望として、「難民」という回路をとって「首都」へ送り込まれたのだ。
映画の最後、少年はカメラで監督を撮影し、演技を振り、監督にインタビューまでする。つまり、撮る者と撮られる者の関係が、冒頭とは逆転する。監督の演技も、お世辞にも巧くないので、ここで立場は互角となる。少年は成長しており、これからも成長し続けるだろう。21世紀のどこかの時点で、民族のチベット帰還が実現する日に向けて———。
キネマ旬報(キネマ旬報社)2012年7月下旬号「読む、映画」
少年が細い路地をこちらへ向かって歩いてくる。撮影を意識しているのか、動きはややぎこちない。オロは六歳の時に母に送り出され、途中苛酷な日々を過ごしながらもどうにか国境を越え、インドのダラムサラへやってきた。亡命チベット人がたくさん住むこの街で、彼は世界を学び、やがては同胞たちのために汗を流すだろう。そんな彼を撮りたくてたまらない日本の老紳士がいる。
1960年代から70年代に、3つの衝撃的な実験作を世に送り出した岩佐寿弥監督がその人だ。虚構と現実を混乱させてしまうその実験性は、少年との温かい交流に根ざしたこのドキュメンタリーにも生きている。少しずつ「映画」のある生活になじんできたオロが、監督からキャメラを託されるシーンがある。夢中でキャメラを操ろうとする彼は、すでに映画と一緒に成長していく存在であり、もう「被写体」などではない。彼も映画作りの一員なのだ。
実直でシャイな彼はどこへ行っても可愛がられるが、その芯の強さがよく分かるのがラストシーンだ。故郷や母親に対する思いの丈を語らせてみると、地面から湧き出るような力強いモノローグを繰り出してくる。この言葉は「日本人が《チベット問題》を撮りに行く」という硬い構図からは生まれてこないだろう。厳しいチベット情勢を背景にしながらも、爽やかな後味を残す一本である。
中央公論(中央公論新社)2012年8月号
雨の日のヒマつぶしは映画が一番。という訳で、今月観てきたのは『キリマンジャロの雪』『ワン・ディ 23年目のラブストーリー』『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』『少年は残酷な弓を射る』『オロ』。
『キリマンジャロの雪』といってもパパ・ヘミングウェイのあれではなく、舞台はマルセイユ。仏・社会党創立者ジャン・ジョレスを敬愛する労働者を描いたロベール・ゲディギャン監督の人情映画である。『ワン・ディ』、アン・ハサウェイ主演のロネ・シェルフィグ監督作品。賢い女子と頼りない男子のじれったいような愛の23年間、その7月15日だけを取り出して描いた恋愛もの。『クレイジーホース・パリ』、パリ3大キャバレーのひとつクレイジーホースを題材としたドキュメンタリー。監督はダンスものを撮らせたら天下一品のフレデリック・ワイズマンだ。『少年は残酷な弓を射る』、ライオネル・シュライバーによる同名小説をリン・ラムジー監督が映画化。かなり怖いので、肝を据えてご覧いただきたい。そして、今回ご紹介するのはチベットの亡命少年オロを追った岩佐寿弥監督のドキュメンタリー『オロ』。相変わらずめちゃめちゃなセレクトだが、カオスこそわが信条。おつきあいいただければ幸いである。
『オロ』。これをドキュメンタリー映画と言い切っていいのかどうか。チベットからインド北部ダラムサラへ僅か6歳で亡命したオロ少年が主人公、舞台も背景もとてもシリアスだ。オロを描きつつ、チベットの置かれた状況もドキュメントされている。だが、なぜか終始ニコニコしてしまう。それが、オロ君やそのおじいちゃん然として映画に登場する岩佐監督の人柄によるものか、下田昌克さんの描く色鉛筆による優しいアニメーションのせいなのか、はわからない。多分、それらすべての醸すものなのだと思う。これがドキュメンタリー映画だとしたら、こんな手法もありなのか、と瞠目するし、いやいや、これはオロ少年の成長を描いたビルドゥングスロマンだよ、と言われれば「なるほど」と納得もできる。懐の大きい映画だ。
今は中国の一部になっているチベット。1959年にダライ・ラマ14世が亡命し、インド北部のダラムサラにチベット亡命政府を樹立して早や半世紀以上。現在、チベット難民数はインド・ネパールを中心に全世界で約15万人を数える。
オロが笑顔の陰に隠して語りたがらない亡命体験の後に辿り着いたダラムサラのチベット子ども村。ここは1960年ダライ・ラマ14世によって危機に瀕するチベット語、チベット文化を子どもたちに教えるために設立された施設だ。
完成まで3年を要した本作、オロのチベット子ども村での暮らしと、夏休みも冬休みも親の許へは帰れないオロを世話する周囲の大人たちの生活とその背景、岩佐監督が10年前に撮った『モゥモチェンガ』の主人公モゥモおばあちゃんの住む難民村を訪ねる旅から成り立っている。旅先で出会った人々との交流を通じて小さな胸の内に押し込んでいた体験を語り始めるオロ。チベットの人々の置かれた状況を政治的に捉えるのではなく、声も荒げず、誰もが抱える体験のように描き出す。ここが本作のただものじゃないところだ。
実は5年前にチベットへ行き、その折、たまたま五体投地をしながら聖地へ向かう巡礼の一行を見た。彼らは現世が辛過ぎるからこのように過酷な祈りの形をとるのか、と胸が痛んでいたのだが、本作はその痛みも消してくれた。人は辛さの中に楽しさを見出すことができる稀有な存在なのだという安堵感を与えてくれる映画。確かにただものではない。
図書新聞3070号「映画はパラダイス」
ドキュメンタリーを撮ることは化学の実験に似ている。フラスコや試験管に被写体を入れる。そこに何種類もの試薬を入れる。あるいは火にかける。あるいは冷やす。激しく揺する。こうした刺激に対して被写体がどのように反応するかを観察する。フラスコや試験管は一つではない。場合によっては幾つも使う。入れる試薬や加える刺激によっては、フラスコや試験管が破裂する場合もある。撮影者自らがフラスコや試験管の内部に入り込むことも頻繁にある。そうなると撮影者も刺激を受ける。観察者の位置にとどまることはもうできない。熱されたり冷やされたり揺すられたり。刺激によって変化した被写体から撮影する側も刺激を受ける。こうなるとどちらが被写体なのかわからない。撮影者は必死にカメラの後ろに回り込みながら、その一部始終を記録する。
もちろん学会に発表するときには、一部始終を記録したままではありえない。それでは論文にならない。素材を編集する。自分の思いを明確に表出するために四捨五入する。時には音楽などで思いを強調する。こうしてドキュメンタリーはできあがる。被写体をただ撮るだけでは作品にならないのだ。この制作過程において、客観性や中立性など介在できるはずがない。試薬や刺激を選ぶのは自分なのだ。被写体を選んだのも自分なのだ。そんなことは制作者なら誰もが知っている。あとはそのテーゼを、どれだけ胸を張りながら表出するかだ。
オロは6歳のときにチベットからインドへ亡命した。その過程に何があったのか、今のオロを撮ってもそれはわからない。だから刺激する。ダラムサラの街を走らせる。遠く離れた地に暮らす親への思いを語らせる。ネパールへと旅をさせる(つまり別のフラスコに入れる)。そこで辛い記憶を抱える人々に出会わせる。
77歳になった岩佐寿弥監督は、自らも試薬であることをカメラの前で隠さない。つまり、意図や作為を表明する。その選択は正しい。監督が過激なのではない。ドキュメンタリーというジャンルが過激なのだ。下田昌克が描くオロの似顔絵が2枚登場する。最初と最後。下田は「はじめは撮っている側がオロを見つめているのに、ラストはオロが撮っている側を見つめている」と語る。それがすべてを表している。オロは変化した。そして撮る側も変化した。その過程を見つめながら観客は、これは遠い異国で起きた受難劇ではなく、自分たちと何も変わらない人たちが、現在進行形で体験する苦難と絶望と希望の物語であることを感受する。つまり物語は普遍性を獲得する。
毎日が発見(角川マガジンズ)2012年7月号
チベットの少年が主人公のドキュメンタリーと聞いたとき、あなたはどんな作品をイメージしただろう? おそらくチベットの内情に詳しければ詳しいほど、その窮状を訴えた社会派ドキュメントを思い浮かべたに違いない。でも、『オロ』を前にしたとき、たぶんその予想はよい意味で大きく覆されたはずだ。もちろん本作にチベットの政情や歴史が内包されていることは確か。でも、それだけにとどまらない広い視野と、国家や民族という問題とは別次元の普遍的な世界を目の当たりにしたのではないだろうか? 映画『オロ』には、そうした豊かな世界観と時間が確実に広がっている。
では、この作品が見せてくれる世界とはなんなのだろう? あくまで私的見解ではあるけれど、それは人間の“自由な精神”ということなのかもしれない。
6歳のときにヒマラヤを越えてチベットからインドに亡命するという、壮絶な経験を持つ主人公オロ。ドキュメンタリーの被写体としては申し分ない。たぶん、この亡命の過程を明かすだけでも映画は成立してしまう。ただ、岩佐寿弥監督の選択は違った。ここで監督は映画づくりの経験などないオロにひとつの変化球を投げかける。「映画の主人公になっておくれ、そして一緒に映画を作らないか」と。はにかみながらオロはそれに同意する。
実は、このキャッチボールの意味することは大きい。推測に過ぎないが、岩佐監督はこのとき、亡命者でもチベット人でも社会のマイノリティでもない、オロ自身、オロというひとりの人間と単純に映画が作りたかったのではないだろうか? 対して、オロ自身も岩佐監督のその意思を汲んでの同意に思える。いうなれば二人はこのとき映画を作る同志になったということ。同じ地平に立った。この関係性が、通常のドキュメンタリーならば絶対的に存在する撮影者と被写体の境界線を限りなく打ち消す。
その空間に身を委ねたオロはいつでも普段着だ。そこには“チベット”と発せられた瞬間から生じる、よくも悪くもかかる色眼鏡的なフィルターはない。いまを生きるオロがありのままの姿で佇んでいる。最終的に浮かびあがるのは、どんな苦境にいようと何人たりとも侵すことのできないオロの“自由な精神”にほかならない。そのとき、我々は大いに思いを馳せることだろう。チベットでいまを生きる人々の心情と日々の暮らしについて。そして自分自身について。
一方、作り手のスタンスも“自由な精神”に満ち溢れている。近年、これは劇映画も含めてのことだが、“映画とはこうあるべき”といった固定観念にとらわれすぎではないだろうか?そう感じるほど、常識を覆す飛躍や自由な発想の入り込む余地のない、あまりに基本に忠実な作品が多い。これに対し、『オロ』の作り手たちの表現手法と作品へのアプローチは実にチャレンジングで実験をまったく恐れていない。場合によってはメイキング風のシーンも使うし、監督も登場。ドキュメンタリー映像とは、もしかしたら最もかけ離れていると言えるかもしれないアニメ映像も挿入されている。その構成と表現手法は“ドキュメンタリーはもっと自由でもっと奔放であっていい”と高らかに宣言しているかのよう。これをまだ経験の浅い新進ドキュメンタリストではなく、この世界で長年生きてきたベテランたちがやっているのだから恐れ入る。このベテランの豊かな感性とアグレッシブな実験精神には、若い作り手たちは大いに刺激を受けてほしい。
主人公のオロと岩佐監督をはじめとする作り手の“自由な精神”。これこそ本作が見せてくれる世界のような気がする。それはまたひとつの普遍性を勝ち得ている。いずれにしてもジャンルでくくれない、唯一の魅力と味わいを備えた作品であることは間違いない。
現在、オロ少年はインド北部の街・ダラムサラにあるチベット亡命政府が運営する“チベット子ども村”に寄宿して勉学に励んでいるという。いま在るどうしようもない現実を受け入れながら、なお未来に希望を抱くオロの澄んだ瞳の奥に、あなたは果たして何を見い出すだろうか?
映画『オロ』公式プレスリリースに書き下ろし