「国が壊れる!」という感覚、ぼくはそれを十歳のときに体験した。六十七年前のあの感覚が齢を重ねる度に鮮やかになって甦ってくる。
三年掛かって映画「オロ」が完成し、どうしてこの映画を作りたかったのかを改めて考え直してみると、どうやら国が壊れたあの時の少年=自分に出会いたがっていたのではないかと思えてくる。勿論日本の敗戦と現在のチベットの状況とでは比較もできないほどその意味合いは違っているのだが、国破れてなお生きる少年の心の内はどこか共通しているように思えてくるのだ。
今ぼくの眼前に広がる大都会、東京の風景は敗戦時の焼け野原のそれとは違って別世界に見えるが、目を閉じればそれは即座に「壊れてしまった国」の姿となって顕われる。昨年三月十一日以来誰もがそれを体感するようになった。思えば少年たちは何時の時代も大人たちがしくじった後の壊された大地の中から新たな時代を作ってきたのだ。事情は違えその意味では日本の少年もチベットの少年も少しも変わらないのだと思う。こうしてこの映画の着手から完成までの三年間に、ぼくの中で「オロ」は「チベットの少年」という枠を超えて、日本の、いや地球上のすべての少年を象徴するまでに変容していった。現実の状況がこの映画の意味を追っかけてくるのである。
映画「オロ」の旅は、ただやみくもにチベットの少年を主人公にした映画を撮りたくなったことから始まった。資金も組織もなく、どこに辿り着くのかさえわからないこの危険な映画の旅に身を投じてくれたスタッフ、それを外から支えてくれた数百の友人たちのお陰でこの映画は完成した。今は一人でも多くの人に見ていただきたい思いでいっぱいだ。たとえどのような環境にあっても、そのなかで生きていく日常の生活の中にこそ「希望」の潜んでいることをこの映画で味わっていただければ・・・と思う。
岩佐寿弥 Iwasa Hisaya
1934年奈良県生まれ。映画作家・TVディレクター。1959年岩波映画入社。岩波映画時代の任意の運動体「青の会」メンバーでもあった。1964年フリーランスに。映画作品『ねじ式映画−私は女優?−』(1969年)『叛軍No.4』(1972年)『眠れ蜜』(1976年)『モゥモチェンガ』(2002年)、TV作品「プチト・アナコ−ロダンが愛した旅芸人花子−」など海外取材によるTV作品多数。2005年「あの夏、少年はいた」(川口汐子共著)を出版、この本を原作としたドキュメンタリードラマ「あの夏~60年目の恋文~」(NHK)が2006年放映される。