(聞き手・文責:代島治彦)
オロの第一印象は「大丈夫かな?」
でも、オロが悪いわけじゃない。
代島:ついに映画になりましたね。
津村:映画をみてオロのことがさらに好きになったよね。断片的な映像素材ではそんなにはわからなかったオロの魅力が、編集によって引き出された。「オロはこんな子どもだったのか」と。不思議なんだけど、撮影現場よりも完成した映画の中でオロをより近くに感じることができた。オロの魅力が映画のなかで結晶したっていう感じですね。
代島:オロの最初の印象はどうでした?
津村:いまだから言えるけど、この少年ではダメだと思った。「大丈夫かな?」って感じでね。
代島:それはどうして……。
津村:まずわれわれの接し方がまずかったんだよ。ぼくを含めて決定的なミスをしてしまった。「チベット子ども村」のなかでのオロの普段の生活をもっと観察して、オロのことをもっとわかってから撮りはじめればよかった。どういうつき合い方をしなきゃいけないかっていうことをもう少しわれわれが学ぶべきだった。
代島:いきなり撮りはじめた?
津村:そうそう。「きみは映画の主人公だよ」ってことでね。しかもわれわれスタッフのなかにとりこんじゃって、「かわいい、かわいい」と甘やかして。オロはうれしくて当然舞い上がるよね。だから、わがままは言い放題、こちらの要求は平気で無視するようになって。オロが悪いわけじゃない。あんな風に甘やかされたら、誰だってそうなる。ましてや映画づくりもまったくはじめてなんだから。でも、この第一次ロケでの失敗がその後のロケで生かされて、結果的にこの映画を成功に導いたと思います。
オロが自らトラウマと向き合ったとき、
「映画になる」と思いました。
代島:失敗をどう生かしたんですか?
津村:第二次ロケ(注1)の最初に、ぼくはオロと一緒に山へ登ったんです。通訳のツエワンとオロと3人だけで。そこでオロと無邪気に遊びながら、ツエワンを介していっぱい話をした。その時間のなかでぼくはオロを好きになったし、オロもカメラのおじさんに心を開いてくれたんじゃないかな。そのあたりからオロはものすごく成長しましたよ、映画づくりのなかでね。
代島:ずっと現場にいた津村さんが手応えを感じたのはいつ頃ですか?
津村:第三次ロケですね。ネパール・ポカラのタシ・パルケル難民キャンプに着いて、モゥモ・チェンガの親戚の三姉妹、特に長女のドルマとオロが親しくなったとき。ドルマがほんとうの姉と弟のようにオロと接してくれて、オロの気持ちがだんだん解けていくなかで、オロはやっと心の奥にしまい込んでいた自らのトラウマ、つらかった記憶と向き合うことができたんです。きっとオロは永遠に思い出したくも、語りたくもなかったのかもしれない。でもトラウマはいつか克服しなきゃいけないものだからね。オロがドルマに自らトラウマを告白した瞬間です、「これで映画になる」と思ったのは。
最小限のチームだったから、
自由に撮影できましたね。
代島:岩佐監督と津村さんは長いつきあいですが、今回は撮影前にどんな話をしたんですか?
津村:前作の『モゥモ・チェンガ』とはまったく別の作り方をしようと提案しました。ナレーションで説明はしない。映像で勝負する。具体的には「基本はフィックスで撮る」「原則としてズームはしない」「説明的なパンはしない」とか。そういう撮影のベーシックな部分の話はしたけれども、現場ではほとんど打合せはしていませんね。そういう意味では自由に撮らせてもらった。
代島:現場は岩佐監督と通訳兼コーディネイターのツエワンと津村さん、この3人体制を基本として、必要に応じて現地で助手を頼むという最小限のチームでした。津村さんは録音部も引き受けなきゃいけないから、大変だったんじゃないですか。
津村:ぼくにとってはひとつ理想型でしたね。大変だけど、ひとりで全部やる。その代わり、自分のリズムで撮っていくことができました。
代島:映画に登場する「木の枝にとまる二羽のメジロ」とか「空から舞い降りる鷲」とか、津村さんが撮った映像には美しい自然の風景がたくさんありました。
津村:ぼくはやっぱり美しい絵を撮りたいわけです。空き時間はいつも風景を探していました。風景を撮るのが好きなんですね。まわりをキョロキョロみながら、雲でもいい、鳥でもいい、旗でもいい、美しいと思ったら撮る。その場の空気感を撮りたいんです。そういうものが必ず作品のなかで生きるとい確信があるから。もう習性ですね。
「一枚の絵」をいかに長く、
魅力的にみせるか。
代島:テレビの世界ではベテランですが、映画撮影ははじめてでした。スクリーンでみせるということで何か意識しましたか?
津村:「一枚の絵」をいかに魅力的にみせるかということですね。ワンシーンの映像をいかに長くみせられるかということがぼくのひとつの勝負でしたから。
代島:この映画のなかで、みてほしいワンシーンを選ぶとしたら?
津村:特にないんですけど…。案外うまくいってると思ったのは、「チベット子ども村」のホーム(寄宿舎)でオロと仲良しの女の子ダドゥンが幼い子の食事を助けるシーンです。フィックスで止める時間、パンをするタイミング、あのシーンの「間」がぼくはすごく好きですね。なぜああいう風に撮れたかは自分でもわからない。あとで考えると不思議だなあって思いますよ。
代島:いよいよ映画が公開されます。この映画に託す思いは?
津村:この映画をみるまずチベット人が好きになると思います。そして、その上で彼らが背負っている悲劇的な背景を理解してほしい。この映画にぼくが託したそんな思いが、この映画を通じて少しでも社会に浸透してくれたらいいなと。そうなることがこの映画で通訳とコーディネイターを務めてくれたチベット人の親友ツエワンとぼくとの友情の証しにもなると思っているんです。
注1)この映画の現地入りはロケハンを含めると全部で4回。ロケハン=2009年11月、第一次ロケ=2010年2月~3月、第二次ロケ=2010年6月~7月、第三次ロケ=2011年1月。
津村和比古 Tsumura Kazuhiko
1946年東京都生まれ。カメラマン(日本映画撮影監督協会会員)。1970年東京水産大学(現東京海洋大学)水産学部卒業後、TVCF制作会社・学研クリエイティブ撮影部入社。1975年フリーランスに。岩佐寿弥監督のテレビ作品の撮影を多数担当。岩佐監督との代表作に『音楽の旅・はるか』シリーズ(毎日放送)、『ナチスの襲った日』(NHK・ETV特集)、『いっちょんわからんやろ~変身の魔術師・クルック麗子の世界~』(TV朝日)、『京都幻想』『奈良幻想』(共に東芝映像)などがある。